夜桜

穏やかな春の陽だまりの中、桜を見るのも良いけれど、のんびりが身につかず、せかせかした毎日を送っている私には、夜桜のほうが似合っているのだと思う。
陽が落ちて真っ暗な闇の中に、薄紅色の桜の木々が浮かび上がると、花びらのどの花弁にも、白い妖気が漂いだしてくる、そんな気がする。
静かに音もさせずに花びらを包み込むように、目にはみえない何かがそこには潜んでいる。静まった真夜中ならなおさら、その妖しさはますます私の妄想をかきたてる。
一年を待ちながら、この時とばかりに咲き競う小さな花弁達。
風に舞い散り行く時のはかなさ、美しい形が崩れ去っていくその姿にさえ寂しさがかきたてられる思いがする。
「どうぞ、この私の美しい姿を忘れないでね」
恋しい人に懇願する娘がそこにはいる。
情念を凝縮した最高の美しさが桜の花だと感じるのはなぜだろう。
咲きほこった数日間、桜を恋慕う人々にため息をつかれ愛されながらも、
春の雨に優しく洗いながされ、やがて、恋の終末を迎えたかのように散り終えてしまうからなのか。
見事に咲いた完成されたその美しさが、偶然の雨で微妙に崩れていくからなのか。
春にはさまざまな別れがつきものの世の摂理、急に感傷的な思いがこみ上げてくる。
一枚の絵のように完成された自然の賜物が、数時間後にはわずかな風のいたずらで、散り散りになってしまうのかと、柄にもなく切ない思いがこみ上げてきた。ベンチに座って、頭上の桜を見上げてみると、肉体はここにいるのに、魂だけはすっぽりと誰かに包まれているように感じている私がいた。
心のふちに桜色のトリミング。ふんわりと優しくて、心地よいリズム。
泣きそうなほどの陶酔感を感じた時、頬に花びらが触れた。
 その瞬間、切なくて、はかなくて、どうにもやるせないのに、いつまでも包まれ続けていたくても、それがかなわないことだと悟った。
はらりはらりと、数枚の花びらが舞う真夜中。
桜の精がいざなってくれたほんのつかの間の夢心地だった。
小さなくしゃみを立て続けにしたものだから、ロマンティックな夜桜鑑賞はあっけなく終わった。
今年の桜は今朝からの突然の雨で、寂しい終末を迎えてしまったけれど、
樹肌に手をやると、昨夜の桜の熱が残っていて、息遣いまでが伝わってきた。
「来年又、お会いできますように」声にならない声で語りかけているかのように感じた。

校了

Written by candy.